中小企業・ショップ向け集客強化WEBサイト制作パッケージプラン 尼崎市の集客WEBサイト制作会社 クレセントワークス (CrescentWorks)
アーカイブス 4月, 2008

「保障したるわ。自分、このままやと2000パーセント成功でけへんで」
僕は思わず声を荒げて言った。
「な、なんでそんなこと言い切れるんですか?」
「そんなもん、自分が『成功せえへんための一番重要な要素』満たしとるからやろがい」
「何ですか?成功しないための一番重要な要素って何なんですか?」
「成功しないための一番重要な要素はな、『人の言うことを聞かない』や。そんなもん、当たり前やろ。成功するような自分に変わりたいと思とって、でも今までずっと変われへんかったっちゅうことは、それはつまり、『自分の考え方にしがみついとる』ちゅうことやんか」
そしてガネーシャは僕を見て言った。
「自分が成功でけへんのはなぁ・・・・・・今さっき『そんなことして意味あるの?』と考えた、まさにその考え方にすべての原因があるんやで」
ガネーシャは人差し指でポンポンと僕のこめかみを小突いた。
「そんな一番、一番、一番、簡単なことも分れへんのやろ、この頭は」
僕は大声で何かを叫びたい気持ちだったけど、何と叫んでいいか分からなかった。
![]() |
夢をかなえるゾウ 水野敬也 |
カテゴリ| ニュース, 引用:えいめセレクション
■近代人と異なる「ネット人格」
IT革命という言葉が広まってから約8年たった。社会はどう変わっただろうか。肝心なのはそれが、技術や経済だけでなく「人間の革命」でもあるという点なのである。
振り返れば、進展はそれなりにあった。ブロードバンド回線はかなり普及したし、放送と通信の融合やユビキタスネット技術についても、専門家のあいだで地道な努力が積み重ねられている。中でも一般の利用者にとって最も衝撃的だったのは、一昨年に米国から到来したウェブ2・0ではなかっただろうか。
それはまさに黒船だった。専門家は、単なるIT業界におけるパソコンメーカーと検索サービス企業との覇権争いと分析するかもしれない。だが一般利用者から見ると、データベースから瞬時にさまざまな知識を検索でき、しかも無料のアプリケーションソフトも使えるというのは朗報というほかはない。
むろん、能天気なウェブ2・0礼賛には批判もある。無料というのは、広告と組み合わされているからであり、一般利用者がアプリケーションソフトを使用すると、いつのまにか広告の片棒をかつがされてしまう。検索サービス企業に情報が一極集中し、知らないあいだに操作される危険性もないではない。
≪新たな共同体の誕生≫
だがこれらの長所短所を別にして、さらに議論すべき大切な問題は、ネットによって新たな人間観が生まれつつあるという点なのだ。
ウェブ2・0によって、一般の人々がネットを読み書きする自由度ははるかに大きくなった。ネットはすでに、テレビより身近なメディアになりつつある。とりわけ若者は、マスコミよりネットの情報を頼りにし始めている。
独り暮らしの若者で新聞をとらない者は多い。学生たちは、無料百科事典であるウィキペディアをはじめ、ネット上で流通している記事や知識を検索してリポートを書く。ウィキペディアの書き手には誰もがなれるのだ。
とくに興味深いのは、ネット上でつづられる個人の日記「ブログ」である。若者はもちろん、今や多くの老若男女が、気に入ったブログの熱心な読者になり、自分でもブログをつづる。人々はブログを通じて見知らぬ相手とつながり、さらに自分のアイデンティティーを見いだそうとしているのだ。そこにはあたかも結社のように、一種のネット共同体が形成されていく。
100年あまり前、新聞は人々の意見をまとめあげ、近代国家を支える「国民」をつくりあげた。さらに50年ほど前から普及したテレビは、大量生産・大量消費の共同体をつくりあげた。そして今や、ネットが、新たな人間同士の出会いや連帯の場をつくりあげつつあるのである。注目すべきは、ブログを書くことによってネット上に出現する人格が、これまでの近代的な個人とはやや異なる性格を持っているという点である。
近代的な個人とは、少なくとも理想的には、独立して思考する主体である。政治的・経済的な自由を要求するかわりに、首尾一貫した論理にもとづいて行動し、言明したことに責任をとる人格である。たとえ現実と理想とのあいだに落差はあっても、この理想的な近代的個人を基準にしてものごとが語られてきたことは間違いない。
≪自己イメージ自由自在≫
しかし、ネット人格とはそういう存在ではないのである。男性の名前で書かれたブログも、実は著者は女性かもしれない。むろん、逆もありうる。一人の人間が幾つかの名前で別々のブログを書くこともできる。あるいは逆に、何人かが交代で、一つのブログを書くこともある。そこに出現するのは多重人格や融合人格なのだ。彼ら・彼女らは、ネット上の言説から強い影響を受けつつ、自由自在に自分のイメージを変転させていく。
さらに、言明したことに責任を持たせることも難しい。過激な発言はいっとき注目を集めるが、膨大な情報の海のなかでたちまち影響力を失い、消えていく。根も葉もない誹謗(ひぼう)中傷は困ったものだが、すぐに忘れられるなら、それほど目くじらをたてるまでもない、という意見さえ出てくるかもしれない。
こういう風潮は、早晩、近代的個人とそれにもとづく近代的社会という理念を侵食していくだろう。もはや、単に嘆いたり、抑圧的な政策をとったりすればすむというわけではない。
われわれは冷静に事態をみつめ、望ましい21世紀ネット社会とはいったい何か、それをいかに築くべきか、真剣に模索していく必要があるのである。
東京大学教授・西垣通(にしがき とおる)
カテゴリ| ニュース, 引用:えいめセレクション
■近代人と異なる「ネット人格」
IT革命という言葉が広まってから約8年たった。社会はどう変わっただろうか。肝心なのはそれが、技術や経済だけでなく「人間の革命」でもあるという点なのである。
振り返れば、進展はそれなりにあった。ブロードバンド回線はかなり普及したし、放送と通信の融合やユビキタスネット技術についても、専門家のあいだで地道な努力が積み重ねられている。中でも一般の利用者にとって最も衝撃的だったのは、一昨年に米国から到来したウェブ2・0ではなかっただろうか。
それはまさに黒船だった。専門家は、単なるIT業界におけるパソコンメーカーと検索サービス企業との覇権争いと分析するかもしれない。だが一般利用者から見ると、データベースから瞬時にさまざまな知識を検索でき、しかも無料のアプリケーションソフトも使えるというのは朗報というほかはない。
むろん、能天気なウェブ2・0礼賛には批判もある。無料というのは、広告と組み合わされているからであり、一般利用者がアプリケーションソフトを使用すると、いつのまにか広告の片棒をかつがされてしまう。検索サービス企業に情報が一極集中し、知らないあいだに操作される危険性もないではない。
≪新たな共同体の誕生≫
だがこれらの長所短所を別にして、さらに議論すべき大切な問題は、ネットによって新たな人間観が生まれつつあるという点なのだ。
ウェブ2・0によって、一般の人々がネットを読み書きする自由度ははるかに大きくなった。ネットはすでに、テレビより身近なメディアになりつつある。とりわけ若者は、マスコミよりネットの情報を頼りにし始めている。
独り暮らしの若者で新聞をとらない者は多い。学生たちは、無料百科事典であるウィキペディアをはじめ、ネット上で流通している記事や知識を検索してリポートを書く。ウィキペディアの書き手には誰もがなれるのだ。
とくに興味深いのは、ネット上でつづられる個人の日記「ブログ」である。若者はもちろん、今や多くの老若男女が、気に入ったブログの熱心な読者になり、自分でもブログをつづる。人々はブログを通じて見知らぬ相手とつながり、さらに自分のアイデンティティーを見いだそうとしているのだ。そこにはあたかも結社のように、一種のネット共同体が形成されていく。
100年あまり前、新聞は人々の意見をまとめあげ、近代国家を支える「国民」をつくりあげた。さらに50年ほど前から普及したテレビは、大量生産・大量消費の共同体をつくりあげた。そして今や、ネットが、新たな人間同士の出会いや連帯の場をつくりあげつつあるのである。注目すべきは、ブログを書くことによってネット上に出現する人格が、これまでの近代的な個人とはやや異なる性格を持っているという点である。
近代的な個人とは、少なくとも理想的には、独立して思考する主体である。政治的・経済的な自由を要求するかわりに、首尾一貫した論理にもとづいて行動し、言明したことに責任をとる人格である。たとえ現実と理想とのあいだに落差はあっても、この理想的な近代的個人を基準にしてものごとが語られてきたことは間違いない。
≪自己イメージ自由自在≫
しかし、ネット人格とはそういう存在ではないのである。男性の名前で書かれたブログも、実は著者は女性かもしれない。むろん、逆もありうる。一人の人間が幾つかの名前で別々のブログを書くこともできる。あるいは逆に、何人かが交代で、一つのブログを書くこともある。そこに出現するのは多重人格や融合人格なのだ。彼ら・彼女らは、ネット上の言説から強い影響を受けつつ、自由自在に自分のイメージを変転させていく。
さらに、言明したことに責任を持たせることも難しい。過激な発言はいっとき注目を集めるが、膨大な情報の海のなかでたちまち影響力を失い、消えていく。根も葉もない誹謗(ひぼう)中傷は困ったものだが、すぐに忘れられるなら、それほど目くじらをたてるまでもない、という意見さえ出てくるかもしれない。
こういう風潮は、早晩、近代的個人とそれにもとづく近代的社会という理念を侵食していくだろう。もはや、単に嘆いたり、抑圧的な政策をとったりすればすむというわけではない。
われわれは冷静に事態をみつめ、望ましい21世紀ネット社会とはいったい何か、それをいかに築くべきか、真剣に模索していく必要があるのである。
東京大学教授・西垣通(にしがき とおる)
カテゴリ| ニュース, 引用:えいめセレクション
話もしないのに携帯かけっ放し 最近の中高生は本当にこうなのか
話もしないのに携帯かけっ放し 最近の中高生は本当にこうなのか
中高生の携帯の使い方を書き込んだはてなダイアリーの日記
携帯電話の無料通話を使って、話もしないのにかけっ放しにしている中高生がいる。そんなブログの情報が、話題になっている。
「これはすごい…」。2008年4月7日にアップされたはてなダイアリー「19790401173.4」の日記が、500人ほどのネットユーザーがブックマークする人気だ。
■「しゃべらないで、ゴソゴソとか音だけを流してる」
女性とみられるブロガーは、この日記で、女子中学校・高校で情報処理を教える教師から、生徒たちの特徴的な携帯電話の使い方を聞いたと明かした。この教師とは、08年4月6日の研究会で久々に会ったという。携帯の使い方の書き込み13項目のうち、特に注目を集めたのが、次の項目だ。
「家に着いた途端彼や友達と通話しっぱなしにする。しゃべらないで、ゴソゴソとか音だけを流してるぽい」
ソフトバンクの「ホワイト学割」では、同社携帯同士なら国内で午前1時~午後9時までの通話は無料になっている。そのサービスを利用しながら、「通話」でない用途にも使っているというのだ。
それは、通話状態の携帯をどこかに放置し、身の回りの音情報を流す用途…。こんなことに使う中高生が本当にいるのか。はてなダイアリーやブックマークのコメントには、驚く声のほか、「別にフツーじゃねえのw」との声があった。が、通話以外の具体例を明かした書き込みはなかった。そこで、ソフトバンク広報室に聞くと、「1~2時間、長電話する方は珍しくありませんが、その具体的な使い方まで把握していません」とのことだった。
とはいえ、その使い方を巡って、日記をトラックバックしたブロガーらの間で議論になった。ブログ「kiki-mimi/bg」は、日記で「携帯が繋がらないと不安になる人、繋がりっぱなしにならないと不安になる人。日本人的な村社会とまではいわないにしろ、コミュニティへの所属願望が強迫観念に近くなってるのかもしれない」と分析した。
■「電波の無駄使い」と批判の声も
一方、批判の書き込みもみられた。ブログ「増田小夜」では、「これはねぇー。やっぱり電気エネルギーと電波の無駄使いだと思うのですよ。こんなトラフィックで基地局が埋まってしまって大人の重要な仕事の電話がかけれなかったりしたらすごい損失だし。そういうことを勘案して通話とかパケットには適切な値段をつけるべきだと思います」とした。
ソフトバンクはどう考えるのか。広報室では、「電話のつなぎっ放しが多くて困ることはありません。支障も出ていません。サービスを利用してほしくて提供していますから、どのような用途に使うかはお客さまの自由です」と話す。
ほかの携帯電話会社に聞くと、NTTドコモでは、「ホワイト学割」のようなサービスはなく、無料通話は、家族間に適用される「ファミ割MAX50」だけ。しかし、同社広報部では、「周波数の中で通信できる容量があり、長時間電話が続きますと、ほかの通信に影響を及ぼします。他の方がかけたいのに、かけられないという事態が起きるので、困りますね。ですから、利用状況をみて、一定時間で通信を切る場合もあります」と明かす。会社によって、対応が分かれるようだ。
カテゴリ| ニュース, 引用:えいめセレクション
話もしないのに携帯かけっ放し 最近の中高生は本当にこうなのか
話もしないのに携帯かけっ放し 最近の中高生は本当にこうなのか
中高生の携帯の使い方を書き込んだはてなダイアリーの日記
携帯電話の無料通話を使って、話もしないのにかけっ放しにしている中高生がいる。そんなブログの情報が、話題になっている。
「これはすごい…」。2008年4月7日にアップされたはてなダイアリー「19790401173.4」の日記が、500人ほどのネットユーザーがブックマークする人気だ。
■「しゃべらないで、ゴソゴソとか音だけを流してる」
女性とみられるブロガーは、この日記で、女子中学校・高校で情報処理を教える教師から、生徒たちの特徴的な携帯電話の使い方を聞いたと明かした。この教師とは、08年4月6日の研究会で久々に会ったという。携帯の使い方の書き込み13項目のうち、特に注目を集めたのが、次の項目だ。
「家に着いた途端彼や友達と通話しっぱなしにする。しゃべらないで、ゴソゴソとか音だけを流してるぽい」
ソフトバンクの「ホワイト学割」では、同社携帯同士なら国内で午前1時~午後9時までの通話は無料になっている。そのサービスを利用しながら、「通話」でない用途にも使っているというのだ。
それは、通話状態の携帯をどこかに放置し、身の回りの音情報を流す用途…。こんなことに使う中高生が本当にいるのか。はてなダイアリーやブックマークのコメントには、驚く声のほか、「別にフツーじゃねえのw」との声があった。が、通話以外の具体例を明かした書き込みはなかった。そこで、ソフトバンク広報室に聞くと、「1~2時間、長電話する方は珍しくありませんが、その具体的な使い方まで把握していません」とのことだった。
とはいえ、その使い方を巡って、日記をトラックバックしたブロガーらの間で議論になった。ブログ「kiki-mimi/bg」は、日記で「携帯が繋がらないと不安になる人、繋がりっぱなしにならないと不安になる人。日本人的な村社会とまではいわないにしろ、コミュニティへの所属願望が強迫観念に近くなってるのかもしれない」と分析した。
■「電波の無駄使い」と批判の声も
一方、批判の書き込みもみられた。ブログ「増田小夜」では、「これはねぇー。やっぱり電気エネルギーと電波の無駄使いだと思うのですよ。こんなトラフィックで基地局が埋まってしまって大人の重要な仕事の電話がかけれなかったりしたらすごい損失だし。そういうことを勘案して通話とかパケットには適切な値段をつけるべきだと思います」とした。
ソフトバンクはどう考えるのか。広報室では、「電話のつなぎっ放しが多くて困ることはありません。支障も出ていません。サービスを利用してほしくて提供していますから、どのような用途に使うかはお客さまの自由です」と話す。
ほかの携帯電話会社に聞くと、NTTドコモでは、「ホワイト学割」のようなサービスはなく、無料通話は、家族間に適用される「ファミ割MAX50」だけ。しかし、同社広報部では、「周波数の中で通信できる容量があり、長時間電話が続きますと、ほかの通信に影響を及ぼします。他の方がかけたいのに、かけられないという事態が起きるので、困りますね。ですから、利用状況をみて、一定時間で通信を切る場合もあります」と明かす。会社によって、対応が分かれるようだ。
カテゴリ| ニュース, 引用:えいめセレクション
インターネット上にグローバルに拡散したコンピューティングリソースを使って、ユーザーに情報サービスやアプリケーションサービスを提供するという、コンピュータ構成・利用に関するコンセプトのこと。米国では2006年ごろから、注目のキーワードとなっている。
インターネットやTCP/IPネットワークは、しばしばクラウド(cloud =雲)と表現される。ここから、インターネット上の“どこか”にあるハードウェアリソース、ソフトウェアリソース、データリソースをユーザーがその所在や内部構造を意識することなく利用できる環境、ないしその利用スタイルを「クラウドコンピューティング」という。
適切な方法で“雲”=インターネットに接続さえすれば、ユーザーは即座に各種のサービスが利用できるという点では、SaaS・ASPに近い。ただし、クラウドコンピューティングでは、特定のサーバファーム(データセンター)にリモートアクセスするというより、リソースの所在をユーザーに意識させないというニュアンスが強い。システムインフラの面でも、増加するリソース需要に対してハードウェアの高機能化で対処するのではなく、グリッドや仮想化によって相互に接続され、複数のコンピュータが一体化・抽象化した分散・並列型の巨大ネットワークを構築するイメージで語られることが多い。
従来のコンピュータ・ネットワークにおいて、ネットワークは単にデータやメッセージが通過する経路であり、エンドノードである個々のコンピュータこそが計算や情報処理を行う主体であった。これに対してクラウドコンピューティングには、つかみどころのない“雲”化した巨大ネットワーク(インターネット)にあらゆるシステムリソースが集約され、それ自体がコンピュータとなるという、パラダイムシフトの意味が込められている。米国グーグルのCEO エリック・シュミット(Eric Schmidt)は、英エコノミスト誌の特別号「The World In 2007」(2006年11月発行)に「Don’t bet against the Internet.」という一文を寄せ、「われわれはクラウドコンピューティングの時代の中にいる。(中略)このネットワークは真にコンピュータとなるだろう」と述べている。
クラウドコンピューティングは、システムインフラの複雑な構造をユーザーから隠ぺいする動きと見ることができるが、システムがブラックボックス化することは障害発生時の原因究明・復旧にマイナスだと懸念する声もある。
カテゴリ| ニュース, 引用:えいめセレクション
インターネット上にグローバルに拡散したコンピューティングリソースを使って、ユーザーに情報サービスやアプリケーションサービスを提供するという、コンピュータ構成・利用に関するコンセプトのこと。米国では2006年ごろから、注目のキーワードとなっている。
インターネットやTCP/IPネットワークは、しばしばクラウド(cloud =雲)と表現される。ここから、インターネット上の“どこか”にあるハードウェアリソース、ソフトウェアリソース、データリソースをユーザーがその所在や内部構造を意識することなく利用できる環境、ないしその利用スタイルを「クラウドコンピューティング」という。
適切な方法で“雲”=インターネットに接続さえすれば、ユーザーは即座に各種のサービスが利用できるという点では、SaaS・ASPに近い。ただし、クラウドコンピューティングでは、特定のサーバファーム(データセンター)にリモートアクセスするというより、リソースの所在をユーザーに意識させないというニュアンスが強い。システムインフラの面でも、増加するリソース需要に対してハードウェアの高機能化で対処するのではなく、グリッドや仮想化によって相互に接続され、複数のコンピュータが一体化・抽象化した分散・並列型の巨大ネットワークを構築するイメージで語られることが多い。
従来のコンピュータ・ネットワークにおいて、ネットワークは単にデータやメッセージが通過する経路であり、エンドノードである個々のコンピュータこそが計算や情報処理を行う主体であった。これに対してクラウドコンピューティングには、つかみどころのない“雲”化した巨大ネットワーク(インターネット)にあらゆるシステムリソースが集約され、それ自体がコンピュータとなるという、パラダイムシフトの意味が込められている。米国グーグルのCEO エリック・シュミット(Eric Schmidt)は、英エコノミスト誌の特別号「The World In 2007」(2006年11月発行)に「Don’t bet against the Internet.」という一文を寄せ、「われわれはクラウドコンピューティングの時代の中にいる。(中略)このネットワークは真にコンピュータとなるだろう」と述べている。
クラウドコンピューティングは、システムインフラの複雑な構造をユーザーから隠ぺいする動きと見ることができるが、システムがブラックボックス化することは障害発生時の原因究明・復旧にマイナスだと懸念する声もある。
カテゴリ| ニュース, 引用:えいめセレクション


